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東京地方裁判所 昭和39年(ワ)4325号 判決 1966年2月26日

原告 渡辺富造

被告 駐留軍要員健康保険組合

代理人 荒井真治 外一名

主文

被告は原告に対し金七四万一、九五五円及びこれに対する昭和三九年七月八日以降右完済に至るまで年五分の金員を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その一を原告の、その余を被告の各負担とする。

この判決は、原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事  実<省略>

理由

一、原告が駐留軍要員として府中基地に勤務しており、昭和三八年五月二一日腹痛のため被告組合経営の府中基地診療所において中川修練生の診療をうけたこと、同人の指示によつて同診療所勤務の後藤看護婦が原告の右上腕の、その主張の部位にピラビタール二CCの注射をしたことは、当事者間に争いがなく、(証拠省略)を綜合すると、その注射の際原告が注射の部位に激痛を覚えたので同看護婦に苦痛を訴えたが、同看護婦は右の注射は痛いから我慢するよういいながら注射を続けたこと、注射の途中から痛みがしびれに変り注射が完了して後は右腕が肩からきかなくなり、原告は診療にきていた同僚の池田勝にシヤツ、上着のボタンをかけてもらつたこと、同日は早退けして同年五月二三日診療所亀山医師の診察をうけたところ、定型的な右腕橈骨神経麻痺と診断されたことを認めることができ、右認定に反する訴取下前の被告中川正昭、同後藤朝代各本人尋問の結果は、いずれも信用できず、他にこの認定の妨げとなる証拠はない。

二、そして、右認定のように原告が注射時及びその直後注射部位に激痛を覚えて痛みを訴えた事実、注射後二日を経過して右腕橈骨神経痲痺と診断されている事実に、(証拠省略)を綜合すると原告の右腕橈骨神経痲痺は、後藤看護婦のピラビタールの注射により、注射針が神経のごく近くに刺入され、薬液が神経に侵潤して痲痺を惹起したものと認めることができ、前記中川本人尋問の結果中右認定に反する部分は採用しない。ところで、(証拠省略)によるとピラビタールは皮下注射されるのが普通であり、皮下注射は橈骨神経の深く走つている上腕外側の中央より上部に斜にするのが安全であつて、筋肉注射の場合には三角筋にしなくてはならないのに、本件において後藤看護婦は原告の右腕上膊ヒユツター氏線の中点から八・二糎(この点は争いがない。)の部位に相当強い角度をもつて注射針を刺入し、その先端は皮下の脂肪組織をそれて筋肉組織にまで及んだものと推認され、この事実と右認定の原告の橈骨神経痲痺が同看護婦の注射に起因する事実を合せ考えると、同看護婦の注射行為には通常医療従事者に要求される注意義務に欠ける点があつたものと推定せざるをえない。すなわち、医療に従事する者は、その取り扱う対象が通常医学的には素人である患者の生命身体であるから、万が一にも医療行為によつて患者の生命身体に危険を及ぼしたり、その機能を害することのないよう配慮すべき職務上の注意義務があるというべきところ、前記認定のとおり注射によつても神経痲痺を惹起することもあり、そのため医学上安全とされる注射の部位、方法が定まつているのであるから、治療手段として注射をすべき場合には当然医学上安全とされる所定の方法に従つてなすべきであるのに前記認定のとおり後藤看護婦は皮下注射の部位としては不適当である(筋肉注射としては一層危険である)部位に注射針を刺入し、かつ、注射針を斜に、しかも皮下脂肪組織にとどめておくべきであるのに筋肉組織にまで及ぼしたのであるから、原告に橈骨神経痲痺が惹起したのについて、後藤看護婦の注射行為に過失があつたといわなくてはならない。もつとも、訴取下前の被告後藤及び原告各本人尋問の結果によると、原告が袖口の狭いシヤツを着用したまま、腕をまくつたため、右腕の上膊が充分露出しないまま注射が行なわれたものと認められ、注射の部位が不適当であつたのはシヤツを着用したまま注射をうけた原告の行為にも一因があるとみられないわけではないが、原告は医学について知識を有しているとも認められないし、シヤツを着用させたまま注射をしなくてはならなかつた必要性を認めるに足りる証拠もないから、右のことは後藤看護婦の過失を認める資料とはなつても、過失を否定する理由とはならない。

三、以上のとおり、原告の本件右腕橈骨神経痲痺は、被告組合経営の府中基地診療所において、後藤看護婦の医療行為により生じたもので、同看護婦の行為に過失がある以上、同看護婦の使用者である(この点は争いがない。)被告組合において、原告に生じた損害を賠償すべき義務のあることは明らかである。そこで損害額の範囲について調べてみる。

(1)  (証拠省略)によると原告は、昭和三八年五月二七日大同病院、昭和三九年二月一七日慶応病院神経科、同月二一日同病院整形外科、同月二二日東大病院において、いずれも右橈骨神経痲痺のため診察をうけ、その際、初診料として各一〇〇円、合計四〇〇円を支出したこと、(証拠省略)を綜合すると原告は、右の診察をうけその後治療中、昭和三九年三月一七日、同年四月一四日に慶応病院において診断書二通の交付をうけ合計六〇〇円、を同年三月一九日大同病院において診断書一通の交付をうけたほか、同病院において治療中に合計七枚の診断書の交付をうけ金七〇〇円の支出をしたことを、それぞれ認めることができ、この認定の妨げとなる証拠はない。そして、右の初診料の支出は後藤看護婦の不法行為により生じた損害であることは明らかであるし、原告本人尋問の結果によると診断書のうち慶応病院発行の一枚(昭和三九年四月一四日分)を除いて、その余のものは、いずれも原告が欠勤届をするに必要であつたと認められるから、その支出費用は、本件の不法行為によつて生じた損害と認めるのが相当である。従つて、いずれも被告に賠償義務があるというべきである。昭和三九年四月一四日慶応病院発行の診断書は原告が本訴を提起するについて交付をうけたものと認められるが、その支出費用は後記弁護士費用と同様の理由で被告においてこれを賠償すべきである。

(2)  原告は昭和三八年七月四日から同月二〇日まで大同病院に入院して右腕上部二カを切開したことにともなう氷代、入院費、雑費、交通費、及びその間の給与の減少額、総計五万六、七二〇円を本件不法行為により生じた損害である旨主張する。そして、(証拠省略)によると、原告が大同病院において、橈骨神経痲痺の治療中、ワゴスチグミンの注射により、その注射個所が膿瘍、菌血症となつたため昭和三八年七月四日から同月二〇日まで同病院に入院し、右腕上部の切開手術をうけたことを認めることができるけれども、右の膿瘍、菌血症が橈骨神経痲痺の治療により通常生ずるものと認めるに足りる証拠はないし、また、予見ないし予見可能のものとも認めるに足りる証拠もない。従つて、仮に、右の入院により原告主張のような出費、収入減があつたとしても被告にこの賠償義務はないものといわなくてはならない。

(3)  さらに、原告は、昭和三九年四月以降三年間の治療費として合計一五万円の損害がある旨主張し、原告本人尋問の結果によると原告の右腕橈骨神経痲痺はなお将来治療を要するものとは認められるけれども、その治療費として要する金額について原告主張額を認めるに足りる証拠はない。従つて、原告のこの点の主張も理由がない。

(4)  つぎに、慰藉料の額について考える。原告本人尋問の結果と弁論の全趣旨によると、原告は昭和二四年から駐留軍に自動車運転手として雇われ以来重車輛の運転をしてきたが、本件の橈骨神経痲痺のため現在は半トン位の小型トラツクの運転しかできないばかりでなく、右手首が曲つたままその先は痲痺しており、下げることはできても上げることができない状態であり、そのため、駐留軍の勤務についても解雇におびやかされていること、将来相当長期間勤務を休まない限り手術をうけることができないし、手術によつて右腕の機能が完全に回復する見込みも不充分であること、これらのことから現在家族を抱え将来の生活に多くの不安があることを認めることができる。以上のような原告の事情を考えると、本件の不法行為により生じた原告の苦痛を慰藉するためには金六〇万円が相当である。

(5)  最後に、原告は、本訴の提起にともなう弁護士費用も、また被告に賠償義務があると主張し、被告は、原告の請求を争うのは相当の根拠、理由があるから、被告において不当に抗争しているものとはいえず、従つて、右の弁護士費用の賠償義務はないと主張する。不法行為により損害を蒙つた被害者がその賠償を求めて訴を提起する場合、訴提起、訴訟の遂行等に必要とされる弁護士費用は、不法行為の加害者、不法行為債権の債務者が任意に賠償義務を履行しないため、この取立て、履行請求のため支出を余儀なくされた費用であつて、不法行為により通常生ずべき損害とはいえないであろう。しかし、債務者が任意に賠償義務を履行しないときには、被害者、不法行為債権の債権者は訴をもつて損害賠償の請求をしなくてはならないのであり、この場合、その権利の実現をはかるには通常専門家である弁護士に委任しなくてはならないから、債務者が違法に不法行為の責任原因を争い、賠償義務の履行をこばむ場合、右のような弁護士費用は、当該抗争により生じた損害といつて妨げない。そして、民法が金銭債務の不履行について、その損害額を法定利率の限度と定めていることから考えると、不法行為債権の債務者が、違法に責任原因を争い、賠償義務の履行をこばんだ場合、債権者が訴提起に要する弁護士費用を債務者に、当該抗争に基づく損害賠償として請求しうるためには、当該抗争の違法性は、債務不履行における債務者の責に帰すべき事由よりその範囲は狭く、これが公序良俗に反する場合に限ると解さざるをえない。他面、金銭債務の不履行があり、その履行を求めて裁判所に出訴を余儀なくされた場合、弁護士費用を訴訟費用として回収できない制度のもとにあつて、その不履行が右の意味の不当抗争とならないときには、債務者の債務の不履行によつて、債権者の究極的に満足する債権額は絶えずその本来有すべき債権額から訴訟に要する弁護士費用を減額したものとならざるをえない。このようなことを正義と公平を理念とする法が容認しているものとは思われない。ところで、民法は、債務の弁済の費用を原則として債務者の負担としているのであるから(四八五条)、債務者が債務を任意に弁済、履行をしない場合、これを取立てる費用についても、この費用が取立てに必要の費用である限り債務者に負担させることも、右の規定の趣旨から類推できるものと考える。このように解することができるとすると、弁護士費用も、この支出が不法行為債務者の違法な抗争の有無にかかわらず、それが不法行為債権の取立てのために必要の限度において債務者の負担に帰すると解して妨げないであろう。そこで本件についてこれをみるに、原告本人尋問の結果と、弁論の全趣旨によると、原告は、本件の右腕橈骨神経痲痺を後藤看護婦の注射によるものとして、昭和三八年八・九月頃からその治療費等の支払請求について、被告組合と直接、あるいは、労働組合の代議員を通じて交渉したが、被告組合において原告の請求を認めず、らちがあかないまま昭和三九年二月頃まで経過したので、訴を提起することにより解決の方途をみいだそうと考え、原告を直接診察した中川インターンや後藤看護婦らの氏名や住所等を知ろうとして被告組合の府中基地診療所等で再三調査したが、診療所の関係者に妨げられて、容易に、知ることができず、帳簿をさがしたり、刑事事件としてもち出すなど告げることによつて、ようやく診療関係者の氏名や住所を知ることができたが、なお、被告組合においては原告の賠償請求について誠意を示さなかつたことを認めることができ、この認定を動かすに足りる証拠はない。右のような事情のもとにおいて(本件原告の橈骨神経痲痺の状況から考えるに、右のような事情は原告の賠償請求に対する違法な抗争ともなりうるであろう。)、原告が、橈骨神経痲痺により生じた損害賠償債権の取立てのため訴の提起をすることは必要といわざるをえないから、これにより原告に生じた弁護士費用は被告において賠償する義務がある。被告は、原告においていまだ支出をしていない弁護士報酬については支払義務がないし、また、予め請求をする必要もないと主張するが、成立に争いのない甲第一〇号証と原告本人尋問の結果によると、原告は昭和三九年四月四日までに、本訴の成功謝金の債務を負担しているのであるから被告の右の主張は採用の限りでない。そして、(証拠省略)によると、原告は本訴を提起するについて原告訴訟代理人河野弁護士に対し着手金として金五万円を支払い、成功謝金として取立額の一割五分相当額の約定をしたことが認められるところ、日本弁護士連合会の定める弁護士報酬等基準額によると、右の着手金、成功謝金は右の基準の範囲内であり、本件事案に照してほぼ妥当と認められるから、前記のとおり被告の賠償すべき合計額六〇万一、七〇〇円の一割五分である金九万二五五円と金五万円の着手金、合計一四万二五五円は被告において、賠償義務があるというべきである。

四、よつて、原告の被告に対する賠償請求のうち、金七四万一、九五五円及び本件訴状が被告に送達された日の後であることの明らかな昭和三九年七月八日以降右完済に至るまで年五分の損害金の支払いを求める部分は正当であるから認容し、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条、仮執行の宣言については同法第一九六条の各規定を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 浜秀和)

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